宮本顕治とは?
みやもとけんじ
宮本顕治とは、日本共産党の長期指導者で、書記長・委員長・議長を歴任し、戦後日本の左翼運動と共産党の路線を形作った中心的人物です。
宮本顕治(みやもとけんじ)は、1908年に山口県(現在の光市付近)に生まれた政治家・文芸評論家です。東京帝国大学(現・東京大学)文学部在学中から文芸活動と左翼運動に携わり、1931年に日本共産党に入党しました。
1933年に党員が殺害されたスパイ査問事件(リンチ事件)に関与したとして逮捕・起訴され、懲役刑を受け、終戦まで獄中で過ごしました。この長期にわたる投獄経験は、彼の政治的信念を強化するとともに、戦後の党指導者としての権威の源泉となりました。
1945年の出獄後、日本共産党の再建に参加し、以後数十年にわたり党の最高指導者として活動しました。
- 書記長(1958〜1970年)
- 委員長(1970〜1982年)
- 議長(1982〜1997年)
その路線は、武装闘争を否定して議会制民主主義の枠内での活動を重視する「自主・民主・平和」路線であり、ソ連・中国共産党とも一定の距離を置く独自の立場を取りました。1960〜70年代の共産党の勢力拡大期をリードした一方、権威主義的な党運営への批判も多くありました。2007年に死去しました。
使い方・例文
戦後日本の政党史や左翼運動を学ぶ際に、「宮本顕治は日本共産党を数十年にわたり率い、議会路線を定着させた指導者」として必ず言及される人物です。
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