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学童疎開とは?

がくどうそかい

学童疎開とは、太平洋戦争末期に都市部の空襲被害を避けるため、子どもたちを農村や山間部へ集団移住させた政策のことです。

学童疎開(がくどうそかい)は、太平洋戦争中の昭和19年(1944年)から終戦にかけて、日本政府が実施した学齢期の児童(主に小学3年生〜6年生)の集団避難政策です。アメリカ軍の爆撃が本格化するなか、都市部の子どもたちを空襲の危険から守ることを目的として行われました。

疎開の形態は主に二つありました。

  • 集団疎開:学校単位で教師が引率し、寺院・旅館・農村の集会所などに集団で移住する方式。親元を離れた子どもたちが共同生活を送った
  • 縁故疎開:親戚や知人を頼って個別に地方に移住する方式

集団疎開では、慣れない環境での共同生活・食料不足・親との別れによる精神的な苦痛が子どもたちに大きな影響を与えました。食事は粗末で、ホームシックに悩む子どもも多かったと記録されています。

昭和20年(1945年)3月の東京大空襲や各都市への空襲が激化し、疎開の必要性はさらに高まりました。終戦後、子どもたちは順次家族のもとへ戻りましたが、戦争によって家族を失った児童も少なくありませんでした。学童疎開は戦争が子どもの生活と心にどれほど深い爪痕を残したかを伝える歴史的な出来事です。

使い方・例文

野坂昭如の小説『火垂るの墓』は、疎開先での兄妹の過酷な生活を描いた作品として知られており、学童疎開や戦時下の子どもたちの境遇を理解するうえで広く参照されています。

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