太平天国の乱とは?
たいへいてんごくのらん
太平天国の乱とは、19世紀中国で洪秀全が指導した大規模な反清朝民衆反乱で、数千万人が犠牲になったとされる歴史的大動乱のことです。
太平天国の乱とは、1851年から1864年にかけて中国で起きた大規模な反乱で、洪秀全(こうしゅうぜん)が建国した「太平天国」とその信者たちが清朝に対して起こした武装蜂起です。
洪秀全はキリスト教的な思想に独自解釈を加えた「拝上帝会」という宗教的運動を基盤に信者を集め、「滅満興漢(清朝(満洲族)を打倒し漢族を復興する)」を唱えて1851年に蜂起しました。太平天国は中国南部の広大な地域を支配し、南京(天京)を首都としました。
太平天国が掲げた政策は以下のようなものでした。
この反乱は14年間にわたり、清朝と太平天国の双方で大量の犠牲者を出しました。犠牲者数は諸説あり、2000万人から数千万人規模に上るとも推定されており、人類史上最も死者数が多い内乱のひとつとされています。最終的には曾国藩・李鴻章が率いる郷勇(義勇軍)とイギリスなどの支援を受けた清朝が太平天国を鎮圧し、1864年に天京が陥落しました。
この動乱は清朝の権威を大きく低下させ、近代中国への移行を促す歴史的転換点となりました。
使い方・例文
歴史の授業では「太平天国の乱」として取り上げられ、近代中国の激動期を象徴する事件として学習します。
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