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多賀城とは?

たがじょう

多賀城とは、奈良時代陸奥国に設置された古代国家の東北支配の拠点となった城柵で、現在の宮城県多賀城市に遺跡が残ります。

多賀城(たがじょう)は、奈良時代初期(8世紀前半)に陸奥国現在の東北地方)に設置された官衙(かんが)施設で、東北地方を支配・統治するための政治・軍事上の中心地でした。現在の宮城県多賀城市に国指定特別史跡として遺跡が残っています。

多賀城が設置された背景には、ヤマト政権による東北地方への勢力拡大(いわゆる「蝦夷(えみし)」への対応)があります。律令国家は東北の人々を「蝦夷」と呼び、征討と懐柔を繰り返しながら支配領域を北へと広げていきました。多賀城はその行政の核として、陸奥国府・鎮守府が置かれ、中央から派遣された国司や武官が駐在しました。

城内には政庁・倉庫・兵舎などの施設が整備されており、発掘調査によって当時の建物跡や木簡(もっかん)が多数出土しています。特に「多賀城碑」は762年(天平宝字6年)に建立されたとされる石碑で、都(平城京)からの距離を記した希少な資料として知られ、「日本三古碑」の一つに数えられています。

平安時代には坂上田村麻呂らによる蝦夷征討が行われ、多賀城は前線基地としての役割も担いました。9世紀に入ると胆沢城(岩手県)に鎮守府が移され、多賀城の軍事的重要性は低下しましたが、陸奥国府としての機能はその後も続きました。

使い方・例文

東北地方の古代史や「蝦夷征討」を学ぶ授業・書籍で多賀城は必ず取り上げられ、宮城県の修学旅行先としても親しまれています。

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