他力本願とは?
たりきほんがん
他力本願とは、もとは浄土教における阿弥陀仏の力によって救済されるという教えですが、現代では他者の力を当てにして自分では努力しないことを指す言葉としても使われます。
他力本願(たりきほんがん)は、仏教、とりわけ浄土宗・浄土真宗の根幹をなす概念です。「他力」とは阿弥陀仏(阿弥陀如来)が立てた誓願の力、すなわち衆生を救わんとする本願(ほんがん)のことを指します。「本願」は阿弥陀仏が菩薩であった時代に立てた四十八の誓願のうち、すべての衆生を極楽浄土へ迎え入れるという根本的な誓いを指します。
浄土真宗の開祖・親鸞(しんらん)は、自分の力(自力)による修行や善行だけでは悟りに至れない人間こそが、阿弥陀仏の他力によって救われると説きました。念仏(南無阿弥陀仏)を唱えることは自力の行為ではなく、阿弥陀仏の願力への感謝と信頼の表れとして位置づけられます。
本来の宗教的意味と現代的な用法の違いを整理すると次のとおりです。
- 本来の意味:阿弥陀仏の本願力(他力)によって救いを得るという積極的・信仰的態度
- 現代の一般的用法:自分では動かず他人に頼る・他者を当てにするという消極的な態度(本来の意味とはほぼ逆)
現代語の「他力本願」は誤用が広まって定着した例とされており、文化庁の国語世論調査でも本来の意味よりも「他人任せ」の意味で使う人が多数を占めることが示されています。宗教的・正式な文脈では本来の意味で使われるため、場面に応じた使い分けが大切です。
使い方・例文
「自分で努力せず他力本願では成長できない」という用法が現代では一般的ですが、宗教学や仏教の文脈では「阿弥陀仏の本願力に救いを求める信仰姿勢」という意味で使われます。
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