乙支文徳とは?
うるちもんどく
乙支文徳は、7世紀初頭の高句麗の将軍で、隋の大軍を撃退した薩水の戦いの英雄として朝鮮半島の歴史に名を刻む人物です。
乙支文徳(ウルチ・ムンドク、生没年不詳)は、7世紀初頭の高句麗(古代朝鮮の王国)に仕えた将軍です。その名が歴史に刻まれているのは、612年に起きた「薩水の戦い」における鮮やかな戦略的勝利によるものです。
612年、隋の煬帝は数十万とも百万とも伝えられる大軍を率いて高句麗に侵攻しました。乙支文徳は高句麗軍を指揮し、正面対決を避けながら隋軍を高句麗領内深くへ引き込む誘引作戦を展開しました。補給線が伸び切り疲弊した隋軍が撤退を始めたところを、薩水(現在の清川江)で待ち受け、壊滅的な打撃を与えました。この戦いで隋の精鋭部隊はほぼ全滅したとされており、隋の弱体化を招く一因ともなりました。
乙支文徳が高く評価される点は次のとおりです。
- 圧倒的な兵力差を知略で覆した卓越した戦略眼
- 敵軍の補給・体力・士気を見極めた機動的な戦術
- 外交交渉と軍事行動を巧みに組み合わせた対応
- 高句麗の独立と民族の誇りを守った象徴的な功績
乙支文徳は今日の韓国・北朝鮮においても民族的英雄として称えられており、朝鮮半島の歴史・文化において特別な地位を占めています。彼の名は軍部隊名や記念碑にも使われています。
使い方・例文
「朝鮮半島の古代史を調べると、乙支文徳が率いる高句麗軍が隋の大軍を薩水で撃退した話が、朝鮮民族の知略と勇気を象徴するエピソードとして繰り返し語られている」というように、東アジア古代史の授業や歴史書で登場します。
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