三国干渉とは?
さんごくかんしょう
三国干渉とは、1895年に日清戦争後の下関条約でロシア・フランス・ドイツが日本に遼東半島返還を迫った外交的圧力のことです。
三国干渉とは、1895年(明治28年)4月に、ロシア・フランス・ドイツの三国が日本に対して行った外交的干渉のことです。日本は日清戦争に勝利し、同年締結の下関条約によって清から遼東半島・台湾・澎湖諸島などを割譲されました。
しかしロシアは、遼東半島を日本が領有することが「極東の平和を脅かす」として反対し、フランスとドイツを誘って共同でその返還を勧告しました。当時の日本は戦勝直後で軍事的・外交的に三国に対抗できる状況にはなく、わずか6日で勧告を受け入れ、遼東半島を清へ返還することになりました。
この屈辱的な体験は日本国内に強い反露感情を生み出し、「臥薪嘗胆」という言葉が広まりました。皮肉なことに、その後ロシアは遼東半島南部(旅順・大連)を清から租借し、日本との対立は深まっていきました。この対立が1904〜1905年の日露戦争へとつながる遠因のひとつとも評価されています。
三国干渉は日本の近代外交史において、条約で得た権益が大国の圧力によって覆された重要な事例として位置づけられており、その後の軍備拡張路線や同盟政策にも大きな影響を与えました。
使い方・例文
「三国干渉」は日本史の授業や近代史の文脈でよく登場します。たとえば「三国干渉を受けて日本は遼東半島を返還した」のように使われ、日清戦争後の外交的展開を語る際に欠かせない用語です。
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