ミハイル・クトゥーゾフとは?
みはいるくとぅーぞふ
ミハイル・クトゥーゾフとは、ナポレオンのロシア遠征を撃退したロシア帝国の元帥で、焦土戦術によってフランス大軍を壊滅に追い込んだ名将です。
ミハイル・イラリオノヴィチ・クトゥーゾフ(Mikhail Kutuzov、1745〜1813年)は、ロシア帝国の軍人で、ナポレオン戦争期に総司令官として活躍した歴史的名将です。数々の戦役で実戦経験を積み、オスマン帝国との戦争でも功績を挙げました。
1812年、ナポレオンが60万を超える大軍を率いてロシアへ侵攻すると、クトゥーゾフは総司令官に任命されました。ボロジノの戦いでは激しい消耗戦を展開しましたが、モスクワを放棄するという困難な決断を下しました。ロシア軍は戦略的撤退を続けながら、
- 補給線の遮断
- ゲリラ戦術の活用
- 厳冬期を利用した持久戦
- 焦土作戦による兵站の崩壊
モスクワは事実上無人のまま占領され、補給を断たれたフランス軍は退却を余儀なくされました。ロシアの冬と飢えにより、ナポレオンの大軍は壊滅的損害を被りながらヨーロッパへ敗走しました。クトゥーゾフはこの功績により元帥に昇進しましたが、翌1813年に遠征中に病没しました。
クトゥーゾフはトルストイの大作『戦争と平和』にも登場し、ロシア人の知恵と忍耐の体現者として描かれています。
使い方・例文
「ナポレオンのロシア遠征」を解説する歴史の授業や書籍では、クトゥーゾフの焦土・持久戦術が失敗の主因として必ず取り上げられます。
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