フランチェスコ・クリスピとは?
ふらんちぇすこくりすぴ
フランチェスコ・クリスピとは、イタリア統一運動に参加し、のちに首相として強権的な国家建設を推進した19世紀の政治家です。
フランチェスコ・クリスピ(1819〜1901年)は、イタリアの政治家で、統一運動(リソルジメント)の英雄的闘士から国家指導者へと転身した波乱に富む人物です。シチリア島パレルモ近郊に生まれ、若年期から自由主義・共和主義運動に身を投じました。
1860年、ジュゼッペ・ガリバルディが率いる「千人隊(スペディツィオーネ・デイ・ミッレ)」に参加し、シチリアおよびナポリ王国征服の立役者の一人となりました。統一後は下院議員を経て要職を歴任し、1887年から1891年、1893年から1896年の二度にわたって首相を務めました。
首相在任中の主な施策と特徴は以下のとおりです。
- 強力な中央集権化と行政改革による近代国家体制の整備
- 法典整備(刑法典の制定)など司法制度の近代化
- アフリカへの植民地拡張政策(エチオピアへの進出)の推進
- 1896年のアドワの戦いでエチオピアに大敗を喫し政治的失脚
クリスピは「統一イタリアの守護者」を自認する強権的なナショナリストとして知られ、社会主義運動を弾圧する一方でビスマルクのドイツとの同盟関係を重視しました。アドワの敗北はイタリア史上最大の植民地戦争の失敗として記憶されており、それが彼の政治生命を絶ちました。
使い方・例文
イタリア統一運動の歴史やアフリカの植民地史を扱う文献で、ガリバルディの同志から強権首相へと転じた政治家として紹介されます。
この用語をシェア
最終更新: