ツパク・アマル2世とは?
つぱくあまるにせい
ツパク・アマル2世は、18世紀後半にスペイン植民地支配に対して南米最大規模の先住民反乱を率いたペルーの指導者です。
ツパク・アマル2世(Túpac Amaru II、1738〜1781年)は、現在のペルー南部クスコ近郊に生まれた先住民(インカ系)の指導者で、本名はホセ・ガブリエル・コンドルカンキです。インカ帝国最後の皇帝ツパク・アマルの末裔を自称し、その名を称号として用いました。
1780年、スペイン植民地当局による重税・強制労働・ミタ制度(強制労働制)への反発を背景に、大規模な反乱を起こしました。この蜂起は南米植民地史上最大規模のものとなり、現在のペルー・ボリビア・アルゼンチンにまたがる地域の先住民・メスティーソを巻き込んで数万人規模へと拡大しました。
反乱の主な経過は以下のとおりです。
- 1780年11月、コレヒドール(地方長官)ティノコを処刑して反乱を宣言
- 複数の戦闘でスペイン軍を撃退し、クスコ周辺を一時制圧
- 1781年4月、スペイン軍に捕縛され、クスコ広場で処刑
ツパク・アマル2世の処刑後も反乱は続きましたが、最終的に鎮圧されました。しかしその精神は南米の独立運動・民族解放運動に受け継がれ、ペルーやボリビアでは今日も民族的抵抗の象徴として広く敬われています。
使い方・例文
「ツパク・アマル2世の反乱は南米植民地への抵抗の象徴とされ、ペルー独立運動の精神的源流ともなった」というように、ラテンアメリカ史や植民地解放運動の解説で登場します。
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