護良親王とは?
もりながしんのう
護良親王とは、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した後醍醐天皇の皇子で、討幕運動に尽力した悲劇の皇族です。
護良親王(もりよししんのう、1308年〜1335年)は、後醍醐天皇の皇子として生まれ、幼少期に天台宗の僧侶となり「大塔宮」とも呼ばれた人物です。
鎌倉幕府の権力が揺らぎ始めた元弘の乱(1331年〜1333年)の際、護良親王は僧形のまま各地を転戦し、幕府打倒の令旨を発して武士や寺社勢力を結集しました。吉野・高野山など紀伊の山岳地帯を拠点に、足利尊氏・楠木正成らと連携して討幕運動の精神的支柱となりました。
建武の新政が樹立されると征夷大将軍に任じられましたが、後醍醐天皇の側近・藤原藤房らとの政争、さらに足利尊氏との確執が深まりました。天皇から疎まれた護良親王は足利直義に捕縛され、鎌倉に幽閉されます。1335年に中先代の乱が起こると、直義の命により淵辺義博に殺害され、28歳で生涯を閉じました。
その短い生涯は、明治維新後に「建武中興十五社」のひとつとして護良親王を祀る鎌倉宮(大塔宮)が創建されるほど顕彰されました。討幕への献身と、新政権内での孤立・非業の死という生涯は、忠義と悲劇の象徴として後世に語り継がれています。
使い方・例文
歴史の授業や歴史小説・大河ドラマなどで、鎌倉幕府滅亡と建武の新政を語る文脈に登場します。
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