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観阿弥とは?

かんあみ

観阿弥とは、14世紀に活躍した能の大成者で、息子の世阿弥とともに現在の能楽の基礎を築いた猿楽師です。

観阿弥(かんあみ、1333年〜1384年)は、南北朝室町時代の猿楽師(能楽師)で、能楽の芸術的基盤を作り上げた人物として日本芸能史上に重要な位置を占めます。本名は山田三郎といい、大和猿楽四座のひとつ「結崎座」の座長を務めました。

観阿弥の功績は、それまで庶民的な民俗芸能であった猿楽・田楽要素を整理・洗練し、「物まね(もの真似)」と「幽玄」を組み合わせた芸術的な舞台芸能へと高めたことにあります。また、「曲舞(くせまい)」という当時流行していた芸能の技法を猿楽に取り込み、能の表現を大幅に豊かにしました。

転機となったのは1374年、京都の今熊野神社での猿楽興行に将軍足利義満が臨席したことです。観阿弥の芸に感動した義満は強力な後援者となり、観阿弥とその息子・世阿弥(当時は藤若)は幕府の保護のもとで活躍する場を得ました。

観阿弥は作者としても優れ、「卒塔婆小町」「自然居士(じねんこじ)」など現在も上演される曲を残しています。1384年、駿河国浅間神社での演能を終えた直後に没したと伝えられています。息子・世阿弥が理論と実践をさらに深め、父の仕事を完成させました。

使い方・例文

「能楽の歴史を学ぶ授業で、観阿弥と世阿弥の親子が現代の能の原型を作ったことを学んだ」というように、日本の伝統芸能史の文脈でよく登場します。

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