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田中義一内閣とは?

たなかぎいちないかく

田中義一内閣は、1927〜1929年に存在した立憲政友会内閣で、積極的な対中外交政策と金融恐慌への対応が特徴です。

田中義一内閣は、1927年(昭和2年)4月から1929年(昭和4年)7月まで続いた内閣で、陸軍大将で立憲政友会総裁の田中義一が首相を務めました。前内閣(若槻礼次郎内閣)が金融恐慌で行き詰まった後を受け、緊急勅令による銀行救済措置で金融秩序の立て直しを図りました。

対外政策では「積極外交」を掲げ、中国への強硬姿勢をとりました。1927〜1928年の山東出兵(第一次〜第三次)は、蒋介石率いる国民革命軍の北伐から在留日本人を保護するという名目で行われましたが、中国側の強い反発を招きました。1928年の張作霖爆殺事件(満州某重大事件)では、関東軍の一部将校が中国東北部の実力者・張作霖の乗る列車を爆破しました。天皇への報告が不誠実であったとして昭和天皇の強い不満を受け、田中は責任をとって辞職します。

また田中内閣期には、1928年の普通選挙初実施による第16回衆議院議員総選挙が行われ、日本の民主主義の歩みという点でも重要な時期でした。一方で治安維持法の改正強化も行われ、思想弾圧が強まった時代でもあります。

使い方・例文

「田中義一内閣の山東出兵は、中国の反日感情を高めるとともに日本の大陸進出をめぐる国内外の矛盾を深めた」という形で、昭和戦前期の外交史を論じる際に登場します。

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