江藤新平とは?
えとうしんぺい
江藤新平とは、明治初期に活躍した佐賀藩出身の政治家・法律家で、近代日本の司法制度を整備した人物です。
江藤新平(えとう しんぺい、1834〜1874年)は、幕末・明治維新期に活躍した肥前国佐賀藩(現在の佐賀県)出身の政治家・官僚・法律家です。明治政府の司法卿(法務大臣に相当)として近代司法制度の基礎を築いた人物として知られています。
藩校で学んだ後、脱藩して尊王攘夷運動に参加。維新後は明治政府に出仕し、急速な近代化政策を推進しました。とくに司法省長官として法整備に力を注ぎ、フランス法をモデルとした近代的な裁判所制度・検察制度の構築を主導しました。太政官制度改革など、行政・立法・司法の三権分立の概念を日本に導入しようとした先駆者のひとりです。
江藤の主な業績には以下のものがあります。
- 司法省の創設と近代裁判制度の整備
- 身分に関わらず法の下に平等であるという原則の導入
- 民法・刑法の近代的編纂への着手
- 征韓論を主張し、下野後は民権運動に関与
1873年の明治六年の政変で征韓論をめぐって大久保利通らと対立し下野。翌1874年に佐賀の乱(士族反乱)を起こしたとされますが鎮圧され、大久保主導の急ごしらえの裁判で死刑・梟首(さらし首)に処されました。享年39歳。その処刑は後に「不当な裁判だった」との評価も根強く、近代司法の整備に尽力した人物が法的手続きに問題のある形で処刑されたことは歴史的な皮肉とされています。
使い方・例文
「江藤新平が整備した司法制度は、明治以降の近代日本の法体系の出発点となった」のように、日本の近代法制史や明治維新の解説で登場します。
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