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本地垂迹とは?

ほんじすいじゃく

本地垂迹とは、日本の神々はインドの仏や菩薩が日本人を救うために仮の姿として現れたものとする、神仏習合の根本理論です。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、平安時代以降に発展した神仏習合の思想体系で、日本の神(神道の神)は仏教の仏・菩薩が衆生を救うために仮の姿(垂迹)として現れたものとする考え方です。「本地」とは本来の姿である仏・菩薩を指し、「垂迹」とはその仮の現れとしての神を意味します。

この思想は、仏教が日本に伝来して以降、土着の神道信仰と習合する過程で形成されました。8世紀には神前での読経が行われるようになり、平安時代中期以降に本地垂迹説として理論化されました。各地の神社の祭神には対応する本地仏が設定され、例えば八幡大菩薩(八幡神)の本地は阿弥陀如来とされました。

この思想は神仏習合を正当化する論理として機能し、神社に神宮寺が建立されるなど、神社仏閣の一体化を促しました。また、神を仏の下に位置づけるこの理論への反発から、逆に仏が神の垂迹であるとする「反本地垂迹説」も生まれ、後の神道理論の発展につながりました。

明治維新に際して政府が神仏分離令を発布すると、本地垂迹に基づく習合的信仰形態は大きく変容し、廃仏毀釈の動きが各地で起こりました。

使い方・例文

「日光東照宮は東照大権現として徳川家康を祀っており、本地垂迹の思想に基づく神仏習合の代表的な例とされています」のように用います。

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