斎藤義龍とは?
さいとうよしたつ
斎藤義龍とは、戦国時代の美濃国の武将で、父・斎藤道三を討ち美濃を支配した人物です。
斎藤義龍(さいとう よしたつ)は、1527年(大永7年)に生まれ、1561年(永禄4年)に没した戦国時代の武将です。美濃国(現在の岐阜県南部)の戦国大名・斎藤道三の長男として知られ、のちに道三と対立して美濃の支配権を握りました。
義龍の生涯で最も知られるのは、父・斎藤道三との対決です。1556年(弘治2年)、義龍は弟たちを謀殺し、父道三と対立して長良川の戦いを起こしました。この戦いで道三は討ち死にし、義龍は美濃一国の支配者となりました。道三は「マムシの道三」と称される謀略に長けた武将でしたが、その息子義龍にその力をもって倒されたことは戦国時代の人間模様を象徴する出来事として語り継がれています。
義龍は美濃を支配した後、隣国尾張の織田信長の侵攻を何度も退けています。信長が岐阜を本拠地にするのは義龍の死後のことであり、義龍在世中は信長も美濃攻略に苦労したとされます。
義龍は体格に優れた大男であったとも伝わり、武勇においても評価されていました。しかし35歳前後という若さで病没し、その後美濃は嫡男・龍興が継承しましたが、程なく信長に攻め落とされることになります。義龍の存在は戦国時代の美濃国史において重要な位置を占めています。
使い方・例文
戦国時代の美濃・尾張を舞台にした歴史小説やゲームで、織田信長の宿敵として斎藤義龍の名が登場します。
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