太閤とは?
たいこう
太閤とは、摂政または関白の職を子や他者に譲った後もその威勢を保ち続けた人物に対して用いられた称号で、豊臣秀吉の代名詞としても知られます。
太閤(たいこう)は、本来は摂政・関白の職を他者(多くは子)に譲った前任者を指す称号です。「太」は「大いなる」を意味し、「閤」は関白の尊称「閤下(こうか)」に由来します。すなわち太閤は「前・関白」に相当する呼称であり、摂関家の家長的な権威を示しました。
歴史上、太閤の称号を持った人物は複数いますが、現代では豊臣秀吉がこの称号の代名詞となっています。秀吉は天正14年(1586年)に関白に就任し、天正19年(1591年)に甥の豊臣秀次に関白職を譲ったのち、太閤と称されました。天下人として文禄・慶長の役(朝鮮出兵)や太閤検地・刀狩令など数多くの政策を行い、その権勢は関白辞任後も衰えませんでした。
太閤検地は全国の田畑を統一基準で測量した画期的な政策で、石高制の確立や封建的土地制度の整備に大きく貢献しました。こうした功績から「太閤さん」という親しみのある呼び方が生まれ、今日でも秀吉の愛称として広く用いられています。
なお摂政を譲った場合は「太政」とは区別され、摂政経験者には「前摂政」の尊称が用いられました。太閤は主に関白の前任者に使う点に注意が必要です。
使い方・例文
「太閤立志伝」など、豊臣秀吉を主人公とするゲームや時代劇のタイトルに「太閤」が使われ、秀吉を指す代名詞として広く親しまれています。
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