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壱岐国とは?

いきのくに

壱岐国とは、現在長崎県壱岐島にあたる、古代から近世にかけての律令制の国のことです。

壱岐国(いきのくに)は、律令制のもとで設けられた令制国のひとつで、現在長崎県壱岐市にあたる壱岐島全体を領域としていました。西海道に属し、筑前国対馬国と並んで九州北部の海上交通の要衝として重視されました。

壱岐島は朝鮮半島中国大陸への渡航ルート上に位置するため、古代より大陸との交流拠点として機能しました。『魏志倭人伝』にも「一大国」として記述されており、邪馬台国への行程の途上に登場します。奈良時代には国分寺・国分尼寺が建立され、律令国家の一部として整備されました。

壱岐国の特産品としては海産物や農産物があり、対馬とともに防衛上の最前線としての役割も担いました。元寇(文永の役・弘安の役)では蒙古軍の最初の上陸地となり、島民が激しい戦禍にさらされたことが史書に記されています。

近世には平戸藩の領地となり、明治維新後の廃藩置県を経て長崎県に編入されました。現在も古代の史跡や遺跡が多く残り、歴史観光の島として知られています。

使い方・例文

「壱岐国」という名称は、古代史や中世史の文脈で、令制国としての行政区分を指す際に使われます。たとえば「壱岐国守に任じられた」「壱岐国の在地領主」のように用いられます。

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