北条泰時とは?
ほうじょうやすとき
北条泰時は、鎌倉幕府第3代執権で、日本初の武家法典である御成敗式目を制定したことで知られる、鎌倉時代を代表する政治家です。
北条泰時(ほうじょう やすとき、1183年〜1242年)は、鎌倉幕府の第3代執権です。北条義時の長男として生まれ、1224年に執権職を継ぎました。在職期間中、幕府の統治体制を大きく整備したことで知られます。
泰時の最大の功績は、1232年(貞永元年)に御成敗式目(貞永式目)を制定したことです。これは日本初の武家法典であり、武士社会の慣習や道徳に基づいた51カ条の法律です。朝廷の律令とは別に、武家独自の法規範を明文化した点で画期的な意義を持ちます。
泰時の政治的業績は以下にまとめられます。
- 評定衆(合議制の政策審議機関)を創設し、独裁を排した合議制を確立
- 引付衆を設けて裁判の公正さを高める制度を整備
- 承久の乱(1221年)での活躍により幕府の西国支配を盤石にした
泰時は清廉・公正な人物として同時代からも高く評価されており、後世には「名執権」として称えられます。御成敗式目は室町時代以降も武家法の基礎として参照され続け、日本の法制史上に大きな足跡を残しています。
使い方・例文
日本史の授業で「御成敗式目を作った人物」として必ず登場し、鎌倉幕府の統治や武家政権の発展を論じる際に中心的な存在として取り上げられます。
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