ヤッサー・アラファトとは?
やっさーあらふぁと
ヤッサー・アラファトとは、パレスチナ解放機構(PLO)の議長として数十年にわたりパレスチナ独立運動を率い、ノーベル平和賞を受賞した政治指導者です。
ヤッサー・アラファト(1929〜2004年)は、パレスチナの政治家・革命家で、20世紀後半のパレスチナ問題を象徴する存在です。本名はムハンマド・アブドゥッラフマーン・アブドゥッラウーフ・アラファート。エジプトのカイロに生まれ、若くしてパレスチナ民族運動に身を投じました。
1964年にパレスチナ解放機構(PLO)が設立されると、アラファトは自らが率いるファタハ(パレスチナ民族解放運動)を通じて台頭し、1969年にPLO議長に就任しました。以降、ヨルダン・レバノン・チュニジアと亡命を繰り返しながらも、世界規模のパレスチナ独立運動を指導しました。
1980〜90年代にはイスラエルとの交渉路線へと大きく転換し、1993年のオスロ合意ではイスラエルのラビン首相・外相ペレスとともにノーベル平和賞を受賞しました。この合意はパレスチナ自治政府の設立につながり、アラファトはその初代大統領に就任しました。しかし和平交渉は行き詰まり、2000年のキャンプ・デービッド交渉の失敗後に第二次インティファーダが勃発、その後アラファトはラマッラーに事実上幽閉された状態で晩年を過ごしました。
2004年にパリで死去。その死因をめぐっては現在も様々な説が存在します。アラファトはパレスチナ人にとっての民族的シンボルである一方、和平への姿勢や組織運営について批判を受け続けた複雑な歴史的人物でもあります。
使い方・例文
「ヤッサー・アラファトはパレスチナ問題の文脈で必ず登場する名前であり、中東和平交渉史を学ぶ際の重要人物として位置づけられます。」国際関係や現代中東史の授業・書籍で頻繁に取り上げられます。
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