モンゴル帝国のルーシ侵攻とは?
もんごるていこくのるーしいんこう
モンゴル帝国のルーシ侵攻とは、13世紀にモンゴル軍が現在のロシア・ウクライナにあたるルーシ諸侯国を征服した一連の軍事行動です。
モンゴル帝国のルーシ侵攻とは、13世紀前半にモンゴル帝国の軍勢がキエフ・ルーシおよびその後継諸侯国を攻略した大規模な征服活動を指します。この侵攻はモンゴルの西方遠征の一環として行われ、東欧の歴史を大きく塗り替えました。
主な侵攻は2度に分けられます。第一次侵攻(1237〜1238年)ではバトゥ率いるモンゴル軍がヴォルガ川を渡り、リャザン、ウラジーミル、スーズダリなどの北東ルーシの主要都市を次々と攻略・破壊しました。第二次侵攻(1239〜1242年)ではさらに南下してペレヤスラヴリ、チェルニーヒウを攻め落とし、1240年にはキエフを徹底的に破壊。その後ポーランドやハンガリーにも侵攻し、ヨーロッパ全土に衝撃を与えました。
この侵攻の結果、多くのルーシ諸侯国はモンゴルが建てたキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の支配下に入り、約250年にわたる「タタールのくびき」と呼ばれる支配が続きます。この時代はルーシの人口減少・都市荒廃をもたらした一方、モスクワ大公国の台頭を促すきっかけともなりました。侵攻がルーシ社会に与えた影響は政治・経済・文化・人口の各面に及び、東欧の歴史を考える上で欠かせない出来事です。
使い方・例文
世界史の授業や中世ヨーロッパ史の解説書で、「モンゴル帝国のルーシ侵攻によってキエフは壊滅的な打撃を受けた」のように、東欧の中世史を語る文脈で登場します。
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