ムハンマド・アリー (エジプト太守)とは?
むはんまどありー
ムハンマド・アリーとは、19世紀前半にエジプトを近代化した太守(ワーリー)で、現代エジプトの礎を築いた人物として「エジプト近代化の父」と称されます。
ムハンマド・アリー(Muhammad Ali Pasha、1769年頃〜1849年)は、オスマン帝国の支配下にあったエジプトの太守(ワーリー)として、19世紀前半に強力な近代化改革を推進した政治家・軍人です。アルバニア系の出身とされ、ナポレオンのエジプト遠征後の混乱期に台頭しました。
1805年にエジプト太守の地位を得たムハンマド・アリーは、オスマン帝国から半独立的な立場でエジプトを統治し、以下のような大規模改革を断行しました。
- 軍の近代化——ヨーロッパ式の訓練・装備を導入し、強力な陸海軍を整備
- 農業改革——綿花栽培を奨励し、灌漑網を整備してエジプトの輸出を拡大
- 教育・工業——ヨーロッパから技術者や教師を招聘し、近代的な学校・工場を設立
- マムルーク勢力の排除——旧来の支配層を武力で一掃し、権力を集中
彼はスーダン・シリアへも勢力を伸ばし、オスマン帝国と一時対立するほどの強大な国家建設を目指しました。晩年は列強の介入もあり拡張政策に限界が生じましたが、その遺したムハンマド・アリー朝はエジプト王国として1952年まで続きました。
使い方・例文
エジプトの歴史を学ぶ授業や観光ガイドでは、カイロのシタデル(ムハンマド・アリー・モスク)とともに彼の業績が必ず紹介されます。
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