ベルサイユ体制とは?
べるさいゆたいせい
ベルサイユ体制とは、第一次世界大戦後にパリ講和会議で結ばれたベルサイユ条約を中心とした国際秩序の枠組みで、ドイツに過酷な賠償を課した戦後体制のことです。
ベルサイユ体制とは、1919年に締結されたベルサイユ条約を軸に構築された第一次世界大戦後の国際秩序の総称です。パリ講和会議において英・仏・米・伊などの戦勝国が主導して形成しました。
ベルサイユ条約ではドイツに対して以下のような厳しい条件が課されました。
- 全戦争責任をドイツに帰する「戦争責任条項」の受け入れ
- アルザス=ロレーヌのフランスへの返還など領土の大幅割譲
- 当時の価値で莫大な額にのぼる賠償金の支払い義務
- 陸軍10万人以下への軍備制限と徴兵制廃止
- 植民地・権益の剥奪
体制の理念的支柱としては、ウッドロウ・ウィルソン米大統領が提唱した「十四か条の平和原則」があり、民族自決・公開外交・国際連盟の設立などが盛り込まれました。国際連盟は集団安全保障の枠組みとして1920年に発足しましたが、アメリカが議会の反対で不参加となるなど当初から機能的な限界を抱えていました。
ドイツ国内ではこの体制への強い不満が広がり、それがナチズム台頭の温床となりました。1930年代にはドイツの再軍備宣言や独ソ不可侵条約などによってベルサイユ体制は実質的に崩壊し、第二次世界大戦への道を開くこととなりました。
使い方・例文
近現代史の学習では、第一次・第二次世界大戦をつなぐ重要な概念として「ベルサイユ体制の崩壊」という表現が頻繁に使われます。
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