パリ講和会議とは?
ぱりこうわかいぎ
パリ講和会議とは、第一次世界大戦の終結後に戦後処理を話し合うためパリで開かれた国際会議で、ヴェルサイユ条約などが締結されました。
パリ講和会議(パリこうわかいぎ、英語:Paris Peace Conference)とは、1919年1月から開かれた第一次世界大戦の戦後処理を目的とした国際会議です。フランスのパリを主な舞台とし、連合国側の主要国が集まって敗戦国との講和条件を協議しました。
会議は米・英・仏・伊・日の五大国を中心に進められ、とりわけアメリカのウッドロー・ウィルソン大統領、イギリスのデイヴィッド・ロイド・ジョージ首相、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相の「三巨頭」が交渉を主導しました。ウィルソンは「十四か条の平和原則」を掲げ、民族自決や国際連盟の設立を訴えましたが、フランスをはじめとする連合国はドイツへの厳しい制裁を求めました。
会議の主な成果として以下の条約が結ばれました。
- ヴェルサイユ条約(対ドイツ):領土割譲・軍備制限・巨額の賠償金
- サン=ジェルマン条約(対オーストリア)
- トリアノン条約(対ハンガリー)
- セーヴル条約(対オスマン帝国)
日本は山東省の旧ドイツ権益継承などを認められた一方、人種平等条項の提案は否決されました。ヴェルサイユ条約の過酷な条件はドイツの経済混乱と政治不安を招き、後のナチズム台頭の遠因のひとつとなったと評価されています。
使い方・例文
「第一次世界大戦の戦後秩序を規定したヴェルサイユ体制は、パリ講和会議での交渉の結果として成立した」という形で、近現代史の文脈で使われます。
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