ビャチェスラフ・モロトフとは?
びゃちぇすらふもろとふ
ビャチェスラフ・モロトフはソビエト連邦の政治家・外務大臣で、独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)の締結で世界史に名を残した人物です。
ビャチェスラフ・ミハイロヴィチ・モロトフ(1890〜1986)は、ソビエト連邦の最高幹部のひとりで、外務大臣・閣僚会議議長(首相)など要職を歴任した政治家です。
本名はスクリャービンですが、革命活動の中で「ハンマー」を意味する「モロトフ」という党名を名乗りました。スターリンの最側近として長年にわたって権力の中枢に位置し、大粛清の推進にも関与したとされています。
外交面での主要な関与は次のとおりです。
- 1939年のモロトフ=リッベントロップ条約(独ソ不可侵条約)の調印
- 第二次世界大戦中の連合国(英米)との協調外交
- 戦後のヤルタ・ポツダム会談への参加
- 冷戦初期における対西側強硬外交
スターリン死後、フルシチョフとの権力闘争に敗れて失脚し、党から除名されました。のちに名誉回復されたものの政界には復帰せず、96歳という長命で没しました。フィンランド軍がソ連の爆撃機を揶揄して「モロトフへのカクテル」と呼んだのが「モロトフ・カクテル(火炎瓶)」の語源とされています。
使い方・例文
「モロトフ外相はリッベントロップと秘密議定書に署名し、東欧の勢力圏を分割した」という形で外交史の文脈に登場します。
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