バウンティ号のウィリアム・ブライとは?
うぃりあむぶらい
バウンティ号のウィリアム・ブライとは、1789年に起きた歴史的な反乱「バウンティ号の反乱」で船長を務めたイギリス海軍士官で、抜群の航海術と厳格な指揮で知られる人物です。
ウィリアム・ブライ(William Bligh、1754〜1817年)は、イギリス海軍の士官で、かの有名なキャプテン・クックの下で航海術を習得した優秀な航法士でした。1787年、英国王立協会の依頼を受け、タヒチからパンノキの苗をカリブ海に運ぶ任務のため、武装船バウンティ号の艦長に任命されました。
1789年4月、タヒチ島での長期滞在(約5か月)を経て帰路についた直後、一等航海士フレッチャー・クリスチャンを中心とした乗組員が反乱を起こしました。ブライを含む18名は小ボートに乗せられ洋上に放棄されましたが、ブライは驚異的な航海術を発揮し、約6,700キロメートルを48日間かけて漕ぎ渡り、ティモール島のオランダ植民地に生還しました。この航海は航海史上屈指の偉業とされています。
帰国後のブライは反乱者追跡のために再び太平洋へ向かいましたが、反乱者の多くはピトケアン島に定住し、子孫が現在も暮らしています。ブライはその後もバウンティ号事件以外の反乱(スピットヘッドの反乱など)に巻き込まれながら、最終的に海軍中将にまで昇進しました。
ブライは厳格な指揮官として描かれることが多いものの、不当な体罰は少なかったという記録もあり、その実像は歴史的に再評価されています。
使い方・例文
「バウンティ号の反乱」として映画や小説にたびたび描かれており、海洋史や18世紀のイギリス植民地政策を語る際に必ず取り上げられる事件の中心人物です。
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