デカルト的懐疑とは?
でかるとてきかいぎ
デカルト的懐疑とは、確実な知識の基盤を探るためにデカルトが用いた、あらゆる信念を根本から疑う方法論的な懐疑の手続きです。
デカルト的懐疑(デカルトてきかいぎ、英:Cartesian Doubt)は、17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトが著作『省察』などで採用した哲学的方法です。疑いの余地のない確実な真理を見つけ出すために、少しでも疑いうるものはすべて偽として退けるという「方法的懐疑」の手続きを指します。
デカルトの懐疑は段階的に進みます。
- 感覚の疑い:感覚はしばしば私たちを欺くため、感覚的知識は確実ではない
- 夢の論証:今見ていることが夢ではないとどうして確かめられるか
- 欺く神の仮説:全能の悪霊(悪魔)がすべての経験を偽りとして植え付けている可能性
この徹底した懐疑の末にデカルトが到達したのが「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」という命題です。疑っている自分が存在することだけは、いくら疑っても否定できないと気づいたのです。この発見を土台に、デカルトは神の存在証明・物体の実在など哲学体系を再構築していきました。
デカルト的懐疑は哲学史において近代認識論の出発点とされ、知識の確実性・心身問題・外界の実在性といったテーマの議論を現代まで規定し続けています。現代哲学でも「缶詰に浮かぶ脳」などの思考実験として形を変えながら引用されています。
使い方・例文
「自分が今見ている世界はコンピュータが作り出した幻かもしれない」というSF的な問いは、デカルト的懐疑の現代版として哲学の授業でよく取り上げられます。
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