タラス河畔の戦いとは?
たらすかはんのたたかい
タラス河畔の戦いとは、751年に中央アジアのタラス川流域でアッバース朝イスラム軍と唐(中国)軍が激突した戦いで、製紙術が西方に伝わる契機となったとされます。
タラス河畔の戦いは、751年7月に現在のキルギス・カザフスタン国境付近を流れるタラス川(タラズ川)近辺で行われた大規模な軍事衝突です。唐の高仙芝(こうせんし)将軍率いる唐・カルルク連合軍と、アッバース朝(イスラム帝国)のジヤード・イブン・サーリフ率いるアラブ・中央アジア連合軍が対峙しました。
戦闘の結果、途中でカルルク人が唐軍を裏切って寝返ったことで唐軍は大敗を喫し、多数の兵士が捕虜となりました。この一戦により唐の中央アジアへの西進は阻止され、イスラム勢力が中央アジアの覇権を確立する転換点となりました。
この戦いが歴史上特に注目される理由の一つは、捕虜となった唐の職人たちが製紙術をイスラム世界に伝えたとする伝承です。製紙技術はその後サマルカンドからバグダード・エジプト・スペインへと西伝し、ヨーロッパの印刷・文化革命にも貢献したとされます。ただし捕虜伝播説については史料上の論争もあり、確定的ではありません。
東西文明の接触点として、タラス河畔の戦いは軍事史・文明交流史の双方から重要視されています。
使い方・例文
タラス河畔の戦いは世界史の教科書で「製紙術が東から西へ伝わった契機」として紹介されることが多く、文明の伝播を論じる場面でよく登場します。
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