ジョン・スチュアート・ミルの弟子・ハーバート・スペンサーと同時代を生きたトーマス・ヘンリー・ハクスリーとは?
とーますへんりーはくすりー
トーマス・ヘンリー・ハクスリーは、19世紀イギリスの生物学者で、ダーウィン進化論の熱烈な擁護者として「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれた人物です。
トーマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley、1825〜1895年)は、イギリスの生物学者・比較解剖学者・教育者です。独学で医学・生物学を修め、後に王立鉱山学校(現・インペリアル・カレッジ・ロンドン)の教授となりました。
チャールズ・ダーウィンが『種の起源』(1859年)を発表したとき、ハクスリーはその内容を読んですぐに「なぜ自分で思いつかなかったのか」と感嘆し、進化論の最も積極的な支持者となりました。1860年のオックスフォード大討論会では、進化論を否定するサミュエル・ウィルバーフォース主教と対峙し、科学的論拠で反論したことで「ダーウィンのブルドッグ」の異名をとりました。
学術的には、ヒトと類人猿の骨格の類似を比較解剖学的に示した研究が特に重要です。また「不可知論(アグノスティシズム)」という言葉を自ら造り、神の存在を証明も否定もできないとする立場を表明したことでも知られています。
教育改革にも力を注ぎ、科学教育の普及や労働者階級への教育機会の拡大を訴えました。孫には文明批評家オルダス・ハクスリー、生物学者ジュリアン・ハクスリーがおり、知的な家系としても有名です。
使い方・例文
「ハクスリーとウィルバーフォース主教の討論は、科学と宗教の対立を象徴する歴史的事件として今も語られる」のように、科学史・進化論の話題で取り上げられます。
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