コルネリウス・デ・ウィットとは?
みひえるあどりあーんすでれいてる
コルネリウス・デ・ウィットとは、17世紀オランダの政治家で、共和派の指導者として活躍した後、政変の中で悲劇的な最期を迎えた人物です。
コルネリウス・デ・ウィット(Cornelis de Witt、1623〜1672年)は、17世紀のオランダ共和国を代表する政治家・海軍提督のひとりです。兄のヨハン・デ・ウィットとともに、オランダ共和派(ローウェイステインの党派)の中核を担いました。
ドルドレヒトの名家に生まれ、地方行政官や議員を経て、第二次英蘭戦争(1665〜1667年)ではオランダ艦隊に随行し指揮にも関わりました。政治的には権力の集中を排し、オランダの共和主義的な統治体制を守ろうとしました。
しかし、1672年にフランス・ルイ14世率いる軍がオランダに侵攻(「災害の年」)すると、民衆の不満はデ・ウィット兄弟に向かいました。コルネリウスは反逆罪の疑いで逮捕・拷問を受け、無実であったにもかかわらず有罪判決を受けました。獄中の弟を見舞いに来た兄ヨハンともども、1672年8月にハーグで激昂した群衆に惨殺されるという悲劇的な最期を遂げました。
この事件はオランダ史上最も衝撃的な政変のひとつとして語り継がれ、共和制の終焉とオラニエ公ウィレム3世の台頭を象徴する出来事となりました。
使い方・例文
オランダ黄金時代の政治史や、ヨーロッパの権力闘争を扱った歴史書では、兄ヨハン・デ・ウィットとともに「1672年の悲劇」の象徴的人物として登場します。
この用語をシェア
最終更新: