アントワーヌ・ドリオールとは?
あんとわーぬどりおーる
アントワーヌ・ドリオールとは、19世紀フランスの政治家・外交官で、フランス第二共和政から第二帝政期にかけて活動した人物です。
アントワーヌ・ドリオール(Antoine Drouyn de Lhuys, 1805年〜1881年)は、19世紀フランスの外交官・政治家です。フランス七月王政から第二共和政、そしてナポレオン3世の第二帝政に至る激動の時代を生き抜き、長年にわたって外交の第一線で活躍しました。
外務大臣を複数回務めたことで知られており、1851年から1852年、および1862年から1866年にかけて外務大臣職にありました。第二帝政期における彼の外交方針は、ヨーロッパ列強との均衡維持を重視するものでした。
1866年の普墺戦争でプロイセンがオーストリアを破り急速に台頭した際、ドリオールはプロイセンに対してより強硬な姿勢をとるべきだと主張しましたが、ナポレオン3世の方針と対立し辞任を余儀なくされました。この判断は結果的に、1870年の普仏戦争でフランスが惨敗する伏線の一つとして後世から評価されることがあります。
外交畑一筋の官僚として知られ、フランス近代外交の制度形成にも貢献した人物として歴史に名を残しています。
使い方・例文
フランス外交史や第二帝政期の政治を学ぶ文脈で「ドリオールは普墺戦争後に外務大臣を辞任し、その後のフランス外交が漂流したと評される」という形で登場します。
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