長篠の戦いとは?
ながしののたたかい
長篠の戦いとは、1575年に三河国長篠(現在の愛知県新城市)で織田信長・徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍を破った歴史的合戦です。
長篠の戦い(ながしののたたかい)は、1575年(天正3年)5月に三河国設楽原(したらがはら)で行われた、戦国時代を代表する大規模な合戦です。織田信長・徳川家康の連合軍が、武田勝頼率いる武田軍と激突しました。
きっかけは、武田軍が徳川方の長篠城を包囲したことです。城の守将・奥平信昌は籠城して援軍を待ち、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が決死の使者として包囲網を脱出し、信長への援軍要請に成功したことで知られています。
この戦いは、織田軍が「馬防柵(ばぼうさく)」と大量の鉄砲(火縄銃)を組み合わせた戦術を採用したことで有名です。騎馬突撃を封じ込め、鉄砲の斉射によって武田の精鋭部隊に大きな打撃を与えました。ただし、「3000丁の鉄砲で三段撃ち」という描写は後世に誇張された面もあるとされ、実際の鉄砲数や戦術については研究者の間で議論が続いています。
この合戦の結果、武田氏は主力武将の多くを失い、以後の勢力低下につながりました。一方で織田・徳川連合は中部地方における支配を確固たるものとし、天下統一への道を大きく前進させました。
使い方・例文
歴史の授業や大河ドラマで「火縄銃と馬防柵による戦術革新」の象徴として取り上げられる合戦で、戦国時代の転換点として語られます。
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