普仏戦争とは?
ふふつせんそう
普仏戦争とは、1870〜71年にプロイセンとフランスが戦い、ドイツ統一を決定づけた戦争です。
普仏戦争(ふふつせんそう)とは、1870年7月から1871年5月にかけてプロイセン王国(および北ドイツ連邦諸国)とフランス第二帝政の間で行われた戦争です。「独仏戦争」とも呼ばれます。
開戦の直接的なきっかけは、スペイン王位継承問題をめぐる外交対立でした。プロイセン宰相ビスマルクは「エムス電報事件」を利用してフランスを挑発し、フランスのナポレオン3世が宣戦布告する形にもち込みました。
戦況はプロイセン側の圧倒的な優位で進み、1870年9月のスダン(セダン)の戦いでナポレオン3世が捕虜となり、第二帝政は崩壊しました。その後も戦闘は続き、パリは数か月間包囲されました。1871年1月、ベルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ帝国の成立が宣言されるという歴史的な場面が演出されました。
1871年5月のフランクフルト条約でフランスはアルザス・ロレーヌ地方をドイツに割譲し、多額の賠償金を負いました。この講和条件はフランス国民に深い屈辱感を与え、後の第一次世界大戦へとつながる遠因のひとつになりました。ドイツ帝国の成立は、ヨーロッパの勢力均衡を大きく塗り替える出来事として近代史上極めて重要な意味を持ちます。
使い方・例文
世界史の授業では、普仏戦争はドイツ統一の完成とフランスのアルザス・ロレーヌ喪失を扱う文脈で登場します。
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