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日比谷焼打事件とは?

ひびやようちじけん

日比谷焼打事件とは、1905年にポーツマス条約の内容に憤った民衆が東京で起こした大規模な暴動です。

日比谷焼打事件(ひびやうちやきじけん)とは、1905年(明治38年)9月5日に東京で発生した民衆暴動です。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の内容が伝わると、その条件に怒った市民が東京市内各地で暴動を起こし、警察署・交番・政府系新聞社などを焼き打ちしました。

事件の背景には、日露戦争における日本の苦戦と国民の犠牲への不満があります。多くの国民は多大な人的・物的損害を払いながら戦い、勝利したと認識していました。しかしポーツマス条約では賠償金の獲得に失敗し、獲得領土も限定的だったため、「戦勝なのに条件が不当に低い」という激しい怒りが広がりました。

暴動は日比谷公園での国民大会をきっかけに始まり、その後市内各所に拡大しました。政府は戒厳令に準じる措置として東京府下に戒厳令を施行し、軍隊を出動させてようやく鎮圧しました。死者・重軽傷者・検挙者は合計で数百名にのぼったとされています。

この事件は、日本の民衆が組織的に政府の外交に異議を唱えた早期の事例として歴史上注目されるとともに、大衆の政治的エネルギーが噴出した大正デモクラシーの前触れとも評されています。

使い方・例文

近代史の学習では、日比谷焼打事件はポーツマス条約の賠償金なし講和に対する民衆の激しい反発を示す事例として取り上げられます。

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