文宗 (唐)とは?
ぶんそう
文宗は唐代の皇帝(在位826〜840年)で、宦官の専横に抗して皇権回復を目指しましたが失敗し、衰退期の悲劇的な君主として知られます。
唐文宗(809〜840年)は、唐朝の第17代皇帝(在位826〜840年)で、名は李昂(り・こう)といいます。父は穆宗、兄は敬宗で、敬宗が暗殺された後に宦官によって擁立されました。
文宗の治世は宦官勢力の強大化という深刻な問題に終始しました。唐後期には宦官が禁軍(近衛軍)を掌握するほどの権力を持ち、皇帝でさえも彼らの意向を無視できない状況が続いていました。文宗は儒学を重んじる教養人で、この状況の打破を強く望んでいました。
835年、文宗は宰相の鄭注・李訓らと協力し、宦官を一掃しようとするクーデターを計画します。しかしこの「甘露の変」は事前に発覚し失敗に終わりました。宦官たちは激しい報復として朝廷の官僚や兵士を多数虐殺し、以後の文宗は完全に宦官の監視下に置かれました。
文宗はみずからを「天子なのに家臣の宦官にも及ばぬ」と嘆いたと伝えられ、その無力感を示すエピソードとして後世に語り継がれています。840年に失意のうちに崩御しました。甘露の変はその後の唐の政治的衰退と宦官専横を象徴する事件として、中国史の重要な転換点に位置づけられています。
使い方・例文
「唐文宗」は中国史の宦官問題や「甘露の変」を解説する際に登場し、皇権衰退と内廷勢力台頭の象徴的な例として取り上げられます。
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