本文へスキップ

北条時頼とは?

ほうじょうときより

北条時頼は、鎌倉幕府第5代執権であり、北条氏の権力を確固たるものにした政治家として、廉潔な人格と鋭い政治手腕で「名執権」と称えられた人物です。

北条時頼(ほうじょう ときより、1227〜1263年)は、鎌倉幕府の第5代執権(在職1246〜1256年)です。北条泰時の孫にあたり、若くして執権の座に就きながら、卓越した政治的手腕でその地位を確立しました。

時頼の治世における最も重要な出来事として、1246年の「宮騒動(みやそうどう)」が挙げられます。これは将軍候補をめぐる御家人間の争いであり、時頼は前執権の名越光時ら反北条勢力を一掃することで、北条氏の権力を盤石なものにしました。翌年には前将軍藤原頼経を京都へ追放し、将軍権力を形骸化させて執権による実質支配を強めました。

1256年に執権を子の長時に譲って出家しましたが、「最明寺入道」として政務への影響力を保ち続けました。晩年まで実権を握り続けた点では、日本史上の「院政」に似た構造を武家政権内で実現したといえます。

時頼は質素倹約を旨とする清廉な人物として知られており、後世には庶民の声を直接聞くために諸国を行脚したという「廻国伝説」が生まれるほど、民衆からの信望も厚い人物として語り継がれました。謡曲「鉢の木」にもその逸話が描かれています。臨済宗の禅にも深く帰依し、建長寺の創建に尽力したことでも知られます。

使い方・例文

鎌倉幕府の権力構造を学ぶ授業や試験で、「北条氏が執権として実権を握った典型例」として北条時頼が取り上げられます。

この用語をシェア

𝕏 でポスト LINE

最終更新:

関連用語