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光武帝 (漢)とは?

こうぶてい

光武帝とは、1世紀に前漢滅亡後の混乱を収束させ後漢を建国した中国の皇帝で、儒教的仁政と精力的な統一事業で知られます。

光武帝(劉秀、紀元前5年〜57年)は、前漢の皇族の末裔として生まれ、王莽による新朝の混乱を収拾して後漢(東漢)を建国した皇帝です。25年に皇帝を称し、洛陽を都として定めました。

新朝末期の赤眉の乱や緑林・赤眉などの農民反乱が各地で続く中、劉秀は着実に勢力を拡大しました。優れた軍事指揮官でありながら、降伏した勢力に対して寛大な処置をとる姿勢が多くの人材を引きつけました。建国後は約12年かけて全国統一を果たし、諸豪族の土地私有を認めながらも均田政策を推進して農民の生活安定を図りました。

内政では儒教を国家の基本理念として重視し、太学(国立大学)を再建して儒学の振興に努めました。官僚機構も整備され、地方行政の安定化が図られました。また「柔道をもって天下を取った」と評されるように、武力だけでなく徳治・文治を重んじた姿勢が後世から高く評価されています。外交面では匈奴との関係を管理しつつ、西域との交流も再開させました。

死後は「建武の中興」と称えられる繁栄の基礎を築いた皇帝として、後漢の「光武中興」を代表する名君の一人に数えられています。

使い方・例文

中国史の授業や漢王朝の解説で登場します。「前漢と後漢の橋渡しをした皇帝」「新朝の混乱を平定した人物」として、中国の王朝交代史を学ぶ際に言及されます。

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最終更新:

同じ読みのことば

「こうぶてい」と同じ読みで、意味のちがうことばです。

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