ワーテルローの戦いとは?
わーてるろーのたたかい
ワーテルローの戦いとは、1815年6月にベルギーのワーテルロー近郊でナポレオン・ボナパルトがウェリントン公爵率いる連合軍に敗れた戦闘で、ナポレオン帝国の最終的な終焉を告げた決戦です。
ワーテルローの戦いは、1815年6月18日に現在のベルギー、ブリュッセル南方のワーテルロー近郊で行われた戦闘です。百日天下と呼ばれる復活を遂げたナポレオン1世のフランス軍と、イギリスのウェリントン公爵およびプロイセンのブリュッヘル元帥が率いる連合軍が激突しました。
ナポレオンはエルバ島から脱出してパリに返り咲き(1815年3月)、プロイセンやイギリスとの連合軍を各個撃破する戦略を立てました。6月16日のリニーの戦いでプロイセン軍を破りましたが、ワーテルローでの最終決戦に敗れました。
戦闘の主な経過と要因は以下のとおりです。
- フランス軍の攻勢開始が通常より遅れ、連合軍に陣地を固める時間を与えた
- ウェリントン軍がワーテルロー南方のサン=ジャン高地の尾根に堅固な防衛線を張った
- 夕方にプロイセン援軍が戦場に到着し、フランス軍の側面を突いた
- ナポレオン最後の切り札、近衛隊の突撃が撃退され、フランス軍は総崩れとなった
この敗北でナポレオンは再び退位を余儀なくされ、今度は南大西洋の絶海の孤島セント・ヘレナ島に流刑されました。ワーテルローの戦いはナポレオン戦争全体の終結を意味し、その後ウィーン体制のもとにヨーロッパの保守的秩序が再構築されました。「ワーテルロー」という言葉は現在も「決定的な敗北」の比喩として英語圏などで使われています。
使い方・例文
「ナポレオンはワーテルローの戦いでの敗北によってすべてを失い、セント・ヘレナ島に流刑されて二度と大陸の土を踏むことなく生涯を終えた」のように、ナポレオンの終焉を語る文脈で用いられます。
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