モンケ・ハーンとは?
もんけはーん
モンケ・ハーンとは、モンゴル帝国の第4代大ハーンであり、帝国の行政を整備し東西への拡大遠征を指揮した統治者です。
モンケ・ハーン(1209年〜1259年)は、モンゴル帝国の第4代大ハーン(在位:1251年〜1259年)です。チンギス・ハーンの孫にあたり、トルイの長男として生まれました。即位前に行われた選定過程では熾烈な権力闘争を勝ち抜き、大ハーンの座に就きました。
モンケの治世はモンゴル帝国の絶頂期とも重なります。彼は次のような政策・遠征を推進しました。
- 帝国行政の整備:中央集権的な財政管理や戸籍制度を導入し、各地の諸侯への統制を強化
- フラグのイラン・西アジア遠征:弟フラグ率いる軍がイスラム世界へ進出し、アッバース朝バグダードを陥落させる(1258年)
- クビライの中国遠征:弟クビライに南宋攻略を命じ、モンゴル軍の東アジア支配を拡大
モンケ自身も南宋攻略のため四川方面に親征しましたが、1259年、重慶近郊の合州(現在の重慶市合川区)の攻囲戦の最中に病死しました。享年約51歳。
モンケの急死はモンゴル帝国の分裂を加速させるきっかけとなりました。後継をめぐってクビライとアリクブケが争い、帝国は実質的に分裂していきます。モンケは統一モンゴル帝国の最後の実効的大ハーンとして歴史に刻まれています。
使い方・例文
「モンゴル帝国の膨張と分裂を学ぶ際、モンケ・ハーンの死が転換点として必ず説明されます。」
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