ミン・マンとは?
みんまん
ミン・マンとは、19世紀のベトナム・阮朝(グエン朝)の第2代皇帝で、中央集権化と鎖国政策を推し進め、儒教的な官僚国家体制を確立した君主です。
ミン・マン(明命帝、1791年〜1841年)は、阮朝の第2代皇帝として1820年から1841年まで在位しました。初代皇帝ザロン帝(嘉隆帝)の跡を継ぎ、近代ベトナムの国家制度の整備に大きく貢献しました。
内政面では中国の清朝を手本にした中央集権的な行政改革を断行しました。全国を統一的な省・府・県の体系で区分し、科挙制度を整備して儒教的素養のある官僚を登用する体制を強化しました。これにより阮朝の中央支配力は大幅に強化されましたが、一方で地方の自治的慣行や少数民族の文化に対して圧力をかける側面もありました。
対外政策では、フランス人宣教師やキリスト教の布教活動を厳しく弾圧しました。前代のザロン帝がフランス人の協力でフランス式の軍事訓練を受け入れたのとは対照的に、ミン・マンはキリスト教を儒教的秩序を乱すものとして危険視し、宣教師の処刑や信者の迫害を行いました。このキリスト教弾圧はのちのフランスのベトナム介入・植民地化の口実の一つとなりました。また、カンボジアへの影響力拡大を図り、メコンデルタ周辺への領土拡大を進めました。治世晩年にはタイ(シャム)とカンボジアをめぐる争いが続きました。
使い方・例文
ベトナム近代史や阮朝の歴史を学ぶ際に登場します。「科挙と中央集権を整えたベトナム皇帝」として、またフランスの植民地化前史を語る文脈でも言及されます。
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