マリー・ド・メディシスとは?
まりーどめでぃしす
マリー・ド・メディシスは、フランス王アンリ4世の妃であり、フランス王妃・摂政としてバロック文化の振興に大きく貢献したイタリア出身の王族です。
マリー・ド・メディシス(Marie de Médicis、1575年〜1642年)は、イタリアのフィレンツェを支配したメディチ家の出身で、フランス王アンリ4世の2番目の妃となった人物です。
1600年にアンリ4世と結婚し、フランス王妃となりました。夫の暗殺後(1610年)はルイ13世の摂政として実権を握り、政治の中枢に立ちました。しかし息子ルイ13世との関係は次第に悪化し、宰相リシュリューと息子が連携する中で権力の座から追われ、最終的にはケルンで没しました。
文化的な側面では、フィレンツェ仕込みの洗練された美意識をフランスにもたらし、バロック美術の積極的な後援者として知られています。画家ピーテル・パウル・ルーベンスに自身の生涯を描かせた連作(「マリー・ド・メディシスの生涯」)は、ルーヴル美術館に現在も所蔵されており、バロック絵画の傑作として高く評価されています。また、パリのリュクサンブール宮殿の建設を命じたことでも知られます。
権力闘争と文化振興という両面を持つ複雑な人物として、17世紀ヨーロッパ史において重要な存在です。
使い方・例文
西洋美術史の授業でバロック絵画を取り上げる際に、ルーベンスの連作の注文主としてマリー・ド・メディシスの名が登場します。
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