マクシミリアン・フォン・プリットヴィッツとは?
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マクシミリアン・フォン・プリットヴィッツは、第一次世界大戦初期に東プロイセンの防衛を指揮したドイツ軍将軍です。
マクシミリアン・フォン・プリットヴィッツ(Maximilian von Prittwitz、1848〜1917年)は、プロイセン・ドイツの陸軍将軍です。第一次世界大戦の開戦直後、東プロイセン防衛を担う第8軍の司令官として知られています。
プリットヴィッツは19世紀後半から軍人としてのキャリアを積み、開戦時には高齢の将官として東部戦線の要衝である東プロイセンの守備を任されました。1914年8月、ロシア軍が東プロイセンに大規模侵攻を開始すると(タンネンベルクの戦いに至る局面)、プリットヴィッツはロシア軍の圧力に対して後退を選択する姿勢を見せました。
この判断は上層部から弱腰とみなされ、ドイツ最高司令部はプリットヴィッツを更迭する決定を下しました。後任にはパウル・フォン・ヒンデンブルクが任命され、エーリヒ・ルーデンドルフとともにタンネンベルクの戦いで劇的な勝利を収めました。
プリットヴィッツ自身は歴史的にはこの更迭によって記憶されており、タンネンベルクの英雄となったヒンデンブルクとの対比で語られることが多い人物です。第一次世界大戦の東部戦線史を理解するうえで欠かせない人物の一人です。
使い方・例文
第一次世界大戦の東部戦線を扱う歴史書では、タンネンベルクの戦いの前段としてプリットヴィッツの更迭が必ず言及されます。
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