ティルジット条約とは?
てぃるじっとじょうやく
ティルジット条約とは、1807年にナポレオン・ボナパルトがプロイセンおよびロシアと締結した講和条約で、ナポレオンの覇権を確立した重要な外交文書です。
ティルジット条約は、1807年7月にフランス皇帝ナポレオン1世が、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世およびロシア皇帝アレクサンドル1世とそれぞれ締結した二つの条約の総称です。場所はニーメン川(現リトアニア付近)に浮かべたいかだの上で交渉が行われたことでも知られています。
アウステルリッツの戦い(1805年)やイエナの戦い(1806年)でフランスに相次いで敗北したプロイセンは、この条約によって領土の約半分を失いました。失われた西側の領土にはヴェストファーレン王国が新設され、ナポレオンの弟ジェロームが国王となりました。またポーランド系住民が多い東部領土はワルシャワ公国として再編されました。
ロシアとの条約では、表面上は平和と友好が確認され、ロシアはナポレオンが主導する大陸封鎖令への参加を約束しました。しかしイギリスとの貿易を禁じる大陸封鎖はロシア経済に打撃を与え、後のナポレオンのロシア遠征(1812年)の遠因ともなりました。
ティルジット条約はナポレオン帝国の絶頂期を象徴する外交成果であり、ヨーロッパの地図を大きく塗り替えましたが、同時に大陸封鎖をめぐる矛盾を内包し、帝国崩壊への布石ともなりました。
使い方・例文
「ティルジット条約によって、プロイセンはエルベ川以西の領土をすべて失い、事実上の弱小国へと転落した」のように、ナポレオン時代のヨーロッパ再編を説明する文脈で使われます。
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