インパール作戦とは?
いんぱーるさくせん
インパール作戦とは、1944年に日本陸軍がインド北東部のインパールを攻略しようとした作戦で、無謀な計画と補給の失敗により甚大な犠牲を出したことで知られます。
インパール作戦とは、1944年(昭和19年)3月から7月にかけて、大日本帝国陸軍(ビルマ方面軍第15軍)がイギリス領インドの要衝インパール(現在のインド マニプール州の州都)を攻略するために実施した軍事作戦です。
作戦の目的は、インドへの侵攻によりイギリス植民地支配を揺さぶるとともに、連合軍のビルマへの反攻基地を壊滅させることにありました。第15軍司令官・牟田口廉也中将が強く推進し、ビルマ方面軍司令官・河辺正三大将の承認のもとで実行されました。
しかし、この作戦には多くの深刻な問題がありました。
- ジャングルの山岳地帯を大軍が越えるための補給計画が極めて不十分だった。
- 「牛・象・現地調達」で食料・弾薬を賄うという計画は現地では機能しなかった。
- 雨季のモンスーンにより道路・補給路が寸断され、部隊は食料・医薬品の欠乏に苦しんだ。
- 英印軍の激しい抵抗と航空支援により制空権を失い、撤退を余儀なくされた。
作戦は失敗に終わり、参加した約8万6千人のうち多数が戦死・病死・餓死し、日本軍史上でも最大規模の人的損失を出した作戦の一つと評価されています。敗走する日本兵の骨が道に散乱したことから「白骨街道」とも呼ばれます。インパール作戦は、無謀な計画や組織的問題の象徴として、日本の近現代史・軍事史において繰り返し語り継がれています。
使い方・例文
インパール作戦は、歴史の授業や戦争に関するドキュメンタリーで「補給を軽視した無謀な作戦の典型例」として取り上げられることが多く、リーダーシップや組織論の文脈でも引用されます。
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