牟田口廉也とは?
むたぐちれんや
牟田口廉也とは、太平洋戦争中に無謀と評されるインパール作戦を主導した日本陸軍中将で、多くの将兵を死に追いやった指揮官です。
牟田口廉也(1888〜1966年)は、日本陸軍の軍人で、最終階級は中将です。佐賀県出身で陸軍士官学校・陸軍大学校を経て軍歴を重ね、日中戦争勃発のきっかけとなった1937年の盧溝橋事件当時、現地部隊の連隊長として関与したことでも知られます。
牟田口の名を歴史に刻んだのは、1944年に実施された「インパール作戦」の立案・指揮です。この作戦はビルマ(現ミャンマー)からインドのインパールへの進攻を目指したものでしたが、補給を軽視した計画と現地の険しい地形・雨季の悪天候が重なり、作戦は壊滅的な失敗に終わりました。
インパール作戦が「無謀」と評される主な理由は以下のとおりです。
- 食料・弾薬の補給線が極めて脆弱で、兵士が現地調達に頼ることを前提としていた
- 部下の将軍たちが作戦中止を進言したが、牟田口はこれを無視または更迭した
- 約9万人の参加兵力のうち、戦死・餓死・病死などで3万人以上が失われたとされる
「白骨街道」と呼ばれた撤退路は無数の日本兵の遺体が残され、インパール作戦は日本陸軍史上最悪の作戦の一つとして語り継がれています。
使い方・例文
太平洋戦争の失敗事例研究や、無謀な指揮命令の歴史的事例として書籍・ドキュメンタリーで頻繁に取り上げられます。
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