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アフマド・アラービーとは?

あふまどあらーびー

アフマド・アラービーとは、19世紀エジプトで起きた民族主義的反乱を指導した軍人・政治家で、外国の干渉に抵抗した「エジプトの英雄」として知られる人物です。

アフマド・アラービー(Ahmad Urabi、1841〜1911年)は、エジプトのフェラッハ(農民)出身の軍人で、19世紀後半のエジプトにおける民族主義運動の象徴的指導者です。アラービー・パシャとも呼ばれます。

当時のエジプトはオスマン帝国の宗主権下にありながら、実質的にはイギリスフランスなど列強の経済的支配と財政管理下に置かれていました。また、軍内部ではトルコ・チェルケス系将校が上位を独占し、エジプト人将校は昇進を阻まれていました。アラービーはこうした状況に異議を唱え、1881年に軍事デモを組織して要求を政府に認めさせました。

1882年には事実上の戦争大臣(国防相)となり、「エジプト人のためのエジプト」を掲げる民族主義運動が高揚しました。しかし同年、イギリス艦隊がアレクサンドリアを砲撃し、イギリス陸軍がエジプトに侵攻しました。アラービー率いるエジプト軍はテル・エル・ケビールの戦いで敗北し、反乱は鎮圧されました。

アラービーはスリランカ(当時セイロン)へ流刑となりましたが、後に恩赦を受けてエジプトに帰国しました。彼の運動は、20世紀のエジプト民族主義・独立運動の先駆けとして歴史的に評価されています。

使い方・例文

エジプト近代史・イギリスのアフリカ植民地支配・中東の民族主義運動を扱う文脈で登場し、19世紀の反植民地抵抗の代表例として引き合いに出されます。

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