黒田清隆とは?
くろだきよたか
黒田清隆とは、明治維新の功績をもつ薩摩藩出身の軍人・政治家で、北海道開拓の指揮をとり、第2代内閣総理大臣を務めた人物です。
黒田清隆(くろだ きよたか、1840〜1900年)は、薩摩藩(現鹿児島県)出身の明治初期を代表する軍人・政治家です。戊辰戦争では官軍の参謀として各地で活躍し、特に箱館戦争(五稜郭の戦い)の指揮で名を上げました。
明治政府では開拓使の長官として北海道の開発を推進した功績が大きく、開拓使設置(1869年)以来、北海道の農業・鉄道・産業基盤の整備を主導しました。アメリカから農業・畜産の専門家ホレス・ケプロンらを招へいし、近代的農業技術の導入を図りました。
政治家としての主な出来事は以下のとおりです。
- 1881年の「開拓使官有物払い下げ事件」で自らの関与が批判を浴び、政治的危機を招いた。
- 1888年に伊藤博文の後を継いで第2代内閣総理大臣に就任した。
- 在任中に大日本帝国憲法発布(1889年)を迎え、その施行準備に関与した。
- 条約改正交渉を進めたが、「鹿鳴館外交」への批判が高まる中で1889年に辞任した。
北海道の開拓行政と明治憲法体制の出発点に深く関わった人物として、近代日本史上に位置づけられています。
使い方・例文
北海道の歴史を扱う教科書では、開拓使の設立と黒田清隆の役割がセットで説明されます。
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