高坂昌信とは?
こうさかまさのぶ
高坂昌信は、戦国時代の武将で武田信玄の重臣・側近として知られ、海津城代や北信濃の支配を担い、信玄亡き後も武田家を支えた人物です。
高坂昌信(1527〜1578年)は、戦国時代の武将で、甲斐武田氏に仕えた重臣のひとりです。幼名は春日虎綱(かすが とらつな)とも伝わり、武田信玄の「二十四将」のひとりに数えられます。
高坂昌信は若くして武田信玄に近侍し、特に側近・馬廻衆として信玄の信任を厚く受けました。1559年ごろ、信濃の海津城(現在の長野市松代)の城代に任じられ、北信濃の統治と対上杉氏の最前線防衛を担う重責を果たしました。
昌信の活躍として特に知られるのは以下の通りです。
- 川中島の合戦(1553〜1564年の五度の戦い)における対上杉謙信戦での活動
- 海津城代として北信濃の行政・軍事の要として長年機能
- 信玄死後も勝頼を補佐し、武田家の重鎮として活躍
- 『甲陽軍鑑』の編纂に深く関与したとされ、武田軍の軍事知識・逸話を後世に伝えた
信玄没後の武田家において、高坂昌信は宿老として安定に尽力しましたが、1578年に病没しました。『甲陽軍鑑』は武田家の戦略・戦術・組織を詳述した軍学書として後世の武将にも読み継がれ、昌信の名を後世に伝えています。
使い方・例文
戦国時代の武田信玄に関する歴史書やゲームで、「武田二十四将」のひとりとして「高坂昌信」の名前が登場します。
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