重慶爆撃とは?
じゅうけいばくげき
重慶爆撃とは、日中戦争中に日本軍が中国の臨時首都・重慶に対して繰り返し行った大規模な航空爆撃作戦のことです。
重慶爆撃とは、1938年から1943年にかけて、日本海軍および陸軍の航空部隊が中国国民政府の臨時首都であった重慶(現在の重慶市)に対して実施した大規模な戦略爆撃のことです。
日中戦争において日本軍が武漢を占領した後、国民政府は重慶に首都機能を移しました。日本はこの重慶を攻略することで国民政府の戦意を喪失させ、戦争を早期に終結させようとする「戦略爆撃」の方針を採りました。この爆撃は「101号作戦」「102号作戦」などの名称で段階的に実施されました。
爆撃の特徴と影響としては、以下の点が挙げられます。
- 主として一般市民が居住する市街地が標的となり、多数の民間人が犠牲になった
- 重慶の地形(山に囲まれた盆地)を利用した防空壕に市民が避難し、大規模な防空体制が整備された
- 国際社会からの非難を受け、日本の国際的孤立を深める一因となった
- 一方で国民政府の抗戦意志を折ることはできなかった
重慶爆撃は、現代の戦争倫理や国際人道法の観点からも重要な事例として研究されており、無差別爆撃の歴史的問題として語り継がれています。中国では「重慶大爆撃」として記憶され、日中間の歴史認識問題の一端を担っています。
使い方・例文
歴史の授業や日中戦争に関する書籍で、重慶爆撃は「戦略爆撃の先駆的事例」や「民間人被害の問題」として取り上げられます。
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