西南戦争とは?
せいなんせんそう
西南戦争とは、1877年(明治10年)に西郷隆盛を盟主とした士族が起こした、明治政府に対する最後の大規模内乱です。
西南戦争(せいなんせんそう)とは、1877年(明治10年)2月から9月にかけて、鹿児島を中心とする旧薩摩藩の士族が西郷隆盛を擁して明治政府に反旗を翻した武力反乱のことです。日本近代史上最大規模の内戦であり、近代国家としての明治政府の地位を確立する上での画期となりました。
背景には、明治維新後の急速な近代化政策に対する士族の不満がありました。廃刀令・秩禄処分(士族への家禄廃止)などにより、武士階級は経済的・社会的地位を急速に失っていきました。1874年(明治7年)に征韓論をめぐって下野した西郷隆盛は鹿児島に帰郷し、私学校を設立して士族を糾合していました。
1877年1月、政府の弾薬庫接収計画をきっかけに士族が蜂起し、西郷もこれに加わりました。薩摩軍は北上して熊本城を包囲しましたが(田原坂の戦いが激戦として有名)、政府の徴兵軍に押し返され、9月に城山(鹿児島)で西郷が自決して終結しました。
この戦争が後世に与えた影響は大きく、以下の点が挙げられます。
- 徴兵制による政府軍が士族の反乱を抑え、近代軍制の有効性が証明された
- 武力による政府批判の手段が封じられ、自由民権運動という言論・政治運動へと反政府活動がシフトした
- 戦費調達のための不換紙幣増発がインフレを招き、後の松方財政デフレにつながった
使い方・例文
明治政府と士族の対立を学ぶ際に必ず登場する語で、「なぜ自由民権運動が盛んになったのか」という問いの背景を説明するときに西南戦争の終結(1877年)が起点として語られます。
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